何もない所から武器を作る方法10

曲を作る面で大きな壁にぶつかっていた。

マイハツルア以降、自分に求められるものがマイハツルアと比べられてしまう事が多くなった。

例えば客演の依頼をもらっても「マイハツルアみたいなリリックでお願いします」みたいな。

新曲を作ってもマイハツルアと比べたら刺さらないみたいな。

マイハツルア2みたいなの作れば良いのでは?とか。

 

そして、最初は売り上げが好調かと思っていたアルバムもだんだん落ち着いて来て、時間が経つに連れ店頭の看板も外され、試聴機からも外されて行く。

 

僕は焦った。

マイハツルアを越える曲を出し続けない限り音楽で生活するのは不可能だと思った。

でも、一日中曲と向かい合っても何も作れなかった。

それどころか生活して行くプレッシャーでだんだん音楽が辛くなって来てしまった。

 

今まで一番楽しいはずのものだったのにね。

 

お酒に逃げる事が多くなった。

ミルクティー君と24時間飲み続けた日もあった。

毎日のようにイベントにも顔を出していたので友達は増えたけれど、楽曲制作は息詰まっていた。

お金もすっかり無くなってしまった。

 

そんな中、マイハツルアのリリース前にすでに完成していて流通の準備を進めていた3枚目のアルバムリリースを迎える。

このアルバムはコンセプトアルバムだ。

マサオさんことdj oldfashionの初となる単独ソロMCに対するAll Produced作品。

客演にはレイト君と地元福島の同級生で綱渡りスクランブルのメンバーでもあったK.E.I (TEKARA/鬼一家)を迎えた。

レコードショップに挨拶に行くと店員さんが

「あれ?今回はDVDケースじゃないですね!」

と声をかけてくれた。

 

そう、今回は3枚目にして初のCDケースである。

とにかくコンパクトだ。

 

大展開されたアルバムを見て元気をもらった。

盛大に打ち上げをしようと。

朝まで打ち上げした。

大展開されたレコードショップの光景を振り返り、舞い上がっていた。

舞い上がってはいたが前作の時ほどは舞い上がっていなかった。

 

この時点で次の作品が全然出来ていなかったからだ。

でも、リリース祝いなのでこの日だけは曲の事は考えないようにした。

 

マイハツルア以降、知名度が上がり地方でのゲストライブも増えた。

連続アルバムリリースにより注目度も上がり、myspaceのインディーズランキングで1位になったりもした。


でも、やはり3枚目のアルバムも時間が経つに連れ店頭の看板は外され、試聴機からも外されて行く。

あの瞬間は何とも言えない寂しさがある。

 

そして、僕はまた焦り出す。

全く突破口が見つからない。

 

そんな中、ミルクティー君はいつも浮かれていた。

僕にはそう見えた。

そんなミルクティー君を見て苛立ちさえ感じていた。

 

僕自身とても未熟だった。

 

そんなある日、地方にミルクティー君とライブに行く事になった。

ライブなのに僕は曲制作の事で頭がいっぱいでボケーっと駅のロータリーを歩いていた。

そこへ突然、車が突っ込んできた。

ミルクティー君は僕をかばうかたちでそのまま車にはねられた。