何もない所から1

2002年3月、何も始まらなそうな曇り空の朝方。

19才の僕は福島県いわき市で大学に通いながら一人暮らしをしていた。
高校の頃に出会ったヒップホップは毎日聴くけれど、ラッパーになるという勇気を持てずにいた。
ただ憧れを耳元にだけ置いて、口元はスニーカーの紐の様にきつく結んだままだった。

カーステレオにはDJの先輩がミックスしたテープとニトロマイクロフォンアンダーグラウンドの1st Album。
授業用のクリアファイルにはランチタイムスピークスのステッカー。
車の助手席にはいまだに誰だったのか分からない海外のラッパーのフィギュアを飾っていた。
先輩に買わされたXXXLのECKOのパーカーを着て、乗りこなせないスケートボードを持って、新舞子海岸の駐車場で霞む海の向こうを眺めながらファミマのチキンを食べていた。

 

高校3年間を費やした部活動のホッケーは全国大会までいったものの最後は中途半端な結果で終わってしまった。
それが不完全燃焼となり心の隅でまだくすぶっていた。

そのせいかよく夢でうなされる。

まだ続きが待っている様な。

そんな悔しい気持ちで目覚め、海まで朝日を見に行くのは珍しい事ではなかった。

ジョージアの缶コーヒーの微糖が好きでいつもお供に買っていく。

甘い缶コーヒーは実家を思い出してしまうからあえて少し苦めを選んでいた。

 
この頃の僕はドラゴンアッシュのKJに憧れて周囲の反対を押し切りパーマをかけては失敗、生まれて初めて髪を染めてみては失敗、坊主頭にしてラインをサイドに入れてみては失敗。
何物でもない髪型をしていた。
ただ髪型が変われば何か変わるかもしれないと些細な事にも根拠のない自信というか希望を持っていた。
思い通りに行かない毎日を何とか消化する様な毎日で。
ただただ理由のわからない焦燥感だけがあった。

 

自分をここから変えたいという気持ちがあったのかもしれない。

次は中途半端な高校の部活の様な終わり方ではなく自分が納得する様な最後を見てみたかった。


しかし、現実は何も変わらず。
自分に何もない事を悟られない様に大学で新しい友人を作っていった。

内気で気弱な高校までの自分を必死に隠しながら。


駅前のイトーヨーカドーにあるCDショップと近所のTUTAYAに暇さえあれば行き、新譜をチェックしながら過去の作品も聴き、同世代がCDを出せば全く面識もないのに頭を抱えるくらい嫉妬した。

時には同世代ということだけで宇多田ヒカルにも嫉妬した。


そんな僕にとって東京の大学に通っていた従兄弟は大切な情報源だった。

「渋谷のクラブに行った」なんて話を聞くと胸が躍った。
CDや雑誌の中の世界だったからだ。

いつかそんな場所へ自分も行ってみたいと思っていた。


つづく