何もない所から24

東京で内勤営業研修がやっと終わった。

僕は社会人初ライブのためすぐに福島のいわき市へ向かった。

大学を卒業してたった2カ月しか経っていないのにだいぶ時間が経過しような気がした。

大学の同級生はほとんどが他県からの一人暮らしで卒業とともにそれぞれの地元や就職先へ行ってしまったからか町も少し寂しく感じた。

ショウゴ君に「だいぶ、やつれましたね」と言われた。

ミツヤマ君は地元に就職していたがライブDJということで駆けつけてくれた。
イッキさんもライブに遊びに来てくれた。

近況報告をしながら久しぶりにリラックス出来た。

 

ライブを終えていわきの町を歩いていると、このまま音楽だけで生活出来たら良いのにという思いが溢れて来た。

会社で働きたくないという【逃げ】もあったと思う。
こんな仕事しながら音楽は長くは続かない。

2択だ。

音楽を辞めるか、仕事を辞めるか。

でも、仕事を辞めた時に生活はどうするか。


今はまだ我慢の時か。

 

そのまま勤務先となる宮城県仙台市へ向かう。

始発待ちのいわき駅のホームで食べたかけそばがとても美味しかった。

財布と相談してプラス100円の生卵入りは断念した。

いつか迷わず生卵入りを選べるような経済力は持ちたいものだ。

 

2005年5月、到着した仙台はまだ残る肌寒さが新鮮で気持ちのいい風が吹いていた。

翌週から仙台で社宅に住み、コールセンターでの内勤営業が始まった。

池袋と何も変わらず、毎日ノルマに追われながらの残業で、常に上司に怯えながらの毎日だった。

約10人ほどのチームでリーダーとサブリーダーがいて、そのチームが5つほどあって1つの部署を構成していた。

そんな部署が4部署ほどあり、全体で200人ほどが同じフロアで働いていた。

半分以上はアルバイトだった。

 

日に日に新入社員の数は減っていき、アルバイトの数も減っていった。

 

良く僕らの面倒を見てくれていたサブリーダーのコンノさんが「今いるサブリーダー以上の社員は3ヵ月以上在籍している精鋭だ。他の社員は全員飛んだ」と教えてくれた。

 

ノースカント

「俺、もう辞めたい。地元に帰りたい。」

 

お昼休みにビルとビルの隙間でアメリカンドッグにケチャップ&マスタードをかけながらノースカントがそう呟いたのは仙台に来てちょうど1ヵ月が経った頃だった。

 

 

つづく