何もない所から34

2006年、23才の夏に自己都合で会社を退職した。

この決断に絶対反対するであろう父親が2年前からアメリカのオレゴン州に単身赴任していたので、弟と一緒にパスポートを取得して父親に会いに初めての海外旅行に行った。

大好きな映画『グーニーズ』のロケ地であるキャノンビーチを観光したり、大き過ぎるスーパーマーケットに自分が小さくなったのかと錯覚したり、ベーグルを初めて食べたり、チップのルールが分からなかったり、結局マクドナルドが一番落ち着いたり、とても刺激的な旅だった。

 

父親

「そう言えば、最近会社はどうだ?」

 

そうだ、すっかり退職した事を報告するのを忘れていた。

 

「先週退職しました」

 

もちろん父親に怒られた。

 

怒られ過ぎてここからさらに東京でアルバイトでもしながら音楽活動をしようと思うという事までは伝えられなかった。

 

一度、実家へ戻り、数日過ごした後に母に『どうしても東京で音楽をやってみたい』と言った。

母は僕にハンカチを1枚差し出し、『大学の時にあなたが悩み苦しんでいた夜中にお父さんが車で迎えに行った事を忘れてはいけないよ。音楽を始めてからあなたは変わったと思う。だから、自分がやりたい事を信じてみるのもいいかもね。駅まで送るから東京に行ってみなさい。』と言ってくれた。
そのハンカチはあの思い悩んだ大学生の時に涙を拭いたハンカチだった。

 

その日のうちに上京し、八王子で一人暮らしをしていた大学生の弟の部屋で仕事が見つかるまで居候生活を始めた。

 

毎日、都心までアルバイトの面接を受けに行った。

まずは仕事を見つけて東京で一人暮らししてから音楽活動をスタートさせようと思った。

 

ある日、新宿御苑前で面接を受けた帰り道に灰皿が目の前に落ちてきた。

見上げるとビルのベランダから『すみません!』という声が聞こえ、スーツ姿のおじさんが下りて来た。

 

おじさんの名前はカギイシさんと言い、会社の社長をしていた。

 

スーツに少しだけタバコの吸い殻がかかってしまったので、お詫びに喫茶店へ連れて行ってくれた。

 

僕が福島から出て来て仕事を探している事を知るとカギイシさんは自分の会社に誘ってくれた。

『これも何かの縁だから』とか何とか言っていた気がする。

仕事の内容は図面を描いたり設計したりする様な通信関係の仕事だった。

全く興味は無かったが、今すぐにでも働かなければいけなかったのでカギイシさんの会社で働く事にした。

 

 

つづく