何もない所から35

仕事を始めると同時に埼玉で一人暮らしを始める事にした。

約1ヶ月居候させてもらった弟のマンションを出る前夜に弟は僕に言った。

 

「兄ちゃんが東京で音楽をやりたいなら、大学卒業後に俺が実家に戻るから法に背く事だけはしないで欲しい。」

 

2人兄弟の長男である自分は田舎の【長男は実家を継ぐ】という 仕来りをずっと意識していた事を弟は理解していたんだと思う。

 

 

埼玉での新しい生活がスタートして、仕事にも慣れて来た頃には秋になっていた。

ある週末に渋谷駅前でデモCDを配っていたところ偶然、惹籠(ひきこもり)というラップグループのミズ君に声をかけられた。

話していくうちに同じ福島出身で同い年だったりと共通点が多かった。

そして、綱渡りスクランブルのKEI君とも同級生という事もあり、東京でのイベント出演オファーをくれた。

いつでも帰る場所はあったが、実家へ帰る時は夢が叶った時か夢が終わった時だと思う。


東京でのライブはあまりなく、DMCのライブは以前同様に東北が中心だった。
僕はライブの度に高速バスに乗り、ホテルに泊まる事なく翌朝の始発高速バスでまた東京へ戻る様な生活が続いていた。

 

僕はDMCの皆で東京で音楽をやりたかった。

ただそれぞれの生活があるし、軽々しく誘う事は出来ない。

でも、絶対に大丈夫という自信がこの頃はあった。

だから、どことなく皆に会う度に『良かったら皆で東京行きましょう』と口癖の様に言っていた。

きっと自分1人では無理だと思っていたのかもしれない。

でも、DMCの皆が居たら大丈夫だと。

自分に言い聞かせていたのかもしれない。

分かってはいたけれど、東京には化け物みたいなラッパーが山ほどいて、私生活をラップするだけでモノクロをフルカラーにするほど華のある表現力を持っている。
クラブですれ違うラッパーは普通にCDを全国流通させている。

少し弱気になっていた。

自分は1人ではないというのが心の支えだったのかもしれない。


そんなある日、DSさんが『俺達も東京へ行こうかな』と言った。
隣で聞いてたBOM君は『え?【俺達】の【達】って俺も?』みたいなキョトンとした顔をしていた。

うれしかった。

 

 

つづく