何もない所から15

そして、春が訪れた。

僕は大学4年生になり、僕より1つ年上だったイッキさんとトシキさんは大学を卒業して就職した。

当然、今までの様に活動を続ける事が日に日に難しくなっていった。

 

そんなある日、イッキさんに呼び出され「地元のラップグループの活動もあるから、お前とのラップ活動はここで一旦終わりにしたい。いつか仕事しなくていいくらいお互いが売れた時にまた何かやろうぜ!」という話をされた。

 

心のどこかで覚悟はしていた。

 

僕も来年は大学を卒業するし、社会人という不安しかない未知の世界に入っていく。

この生活が永遠に続くはずはないということ、いつか終わりが来ることはわかっていた。


だから、僕は笑顔で受け入れた。

 

「僕と一緒にラップしてくれて本当にありがとうございました。またいつか一緒にラップしましょう!」


とは言ったものの、イッキさんが居なくなり急に不安になった。

1人で作ったソロ楽曲はたくさんあったが1人のライブは未経験だった。

 

ライブ時にDJをしてくれていた同級生のミツヤマ君に声をかけ、取りあえず1MC1DJのスタイルを作った。

1人になった事でまず現実的に1番きつかったのがチケットノルマだ。
今まではイッキさんと2人で割っていた分が自分1人で背負う事になる。

ノルマのないイベントとやはり1人は心細いのでラップメンバーを探してみようと色々模索していた。

大学の構内では、ヒップホップ熱みたいなものがなくなってきていたし、同級生は就職活動や卒業研究でそれどころではなくなっていた。

いち早くラップを辞めたノースカントとは偶然同じ研究室で一緒に塩ビ管パイプで高音質スピーカーを共同制作することとなっていた。
2004年の日本で市販のスピーカーを超える音質のスピーカーを塩ビ管のみで制作するという無謀なプロジェクトで、それが僕らの共同卒業研究だった。

 

ノースカント

「俺が塩ビ管スピーカー作るから、あんたはラップやってたらいいよ。今しか出来ないかもしれないし。」

 

「うそ!全部任せていいの??」

 

ノースカント

「その代わり塩ビ管スピーカーが完成したら学食で塩ビ管スピーカー使ってライブしてくれ。スペシャルサンクスはノースカントで。」

 

ノースカントは良い奴だった。

そんなこんなで取りあえずはラップに打ち込む事が出来た。


そんなある日、いわき市のタウン情報誌に送った僕のデモテープが誌面で紹介された。
それをきっかけにラップのメンバー募集の広告も載せてもらえることとなった。

 

 

つづく